月別アーカイブ: 8月, 2010

中村政人さんに会ったのは、何年ぶりだろう。初めての時はよく覚えている。大阪の、鶴橋の、ラブホテルを会場にした『中村と村上』展で、だ。それからの「中村と村上」は別々の道を歩き始め、それぞれに日本のアートの状況を現実に変えてきた。

中村さんは、それからマクドナルドやコンビニの電光看板を実寸大で再現する作品でベネチアビエンナーレに招聘されるなど、美術業界での活躍の一方で、コマンドNというチームを立ち上げ、「秋葉原TV」や「新宿少年アート」など、町に切り込むアートプロジェクトを続けてきた。

そのいくつかで出会いつつ、すれ違いつつ、先日、ひさしぶりにがっつり話を聞かせてもらった。

彼の最も新しい活動は、2010年春にオープンした「アーツ千代田3331」の統括ディレクターという仕事。旧中学校を改装したそれは、中村さんと仲間たちが立ちあげたコマンドAという合同会社が千代田区に賃料を払うという形で運営されている。もちろん周辺の相場に比べればかなり安く、その換わり「文化的な活動の拠点になること」というミッションも背負っている。
そこで、中村さんが設計(ハードもソフトも)した3331とは…。

1階は、公園に面した明るく広々としたラウンジ(以前は壁だったカ所を大きな窓に改装)。片隅にはカフェもあり、夏休み中の親子連れがゆるりと食事したり、女性連れがお茶したり。1階の藤浩志さんのかえっこセンターの奥には、かなり広いホワイトキューブの空間があり、がっつりアート作品の展示が行える。トークを行うスペースは、ガラスの壁面を通して様子がうかがえる仕掛け。取材日には子どもたちを対象にした活動を行っている企業、NPO、任意団体などがワークショップとプレゼン展示を行っていた。

2階は、主にコマーシャルギャラリーや大学のギャラリーなど。東京都歴史文化財団の東京アートポイント計画や、障害ある人のアート活動を支援するエイブルアートもここに事務所とギャラリーを移した。

3階は、編集やアーティストの個人事務所などの小さなシェアオフィス(ドアは旧中学校のドア!)から、わりと広めの建築事務所やIT系の企業など。

3331のテナントに入る条件のひとつに、活動を見せる場をつくることがある。テナントごとにいろいろやっているが、特筆すべきは、SWITCH  SCIENCEという機械部品のネット販売をしている会社の「はんだづけカフェ」。秋葉原にも近いこの場所では、買った部品のハンダづけをしたいという要望が多々あるそうで(初めて知った!)、このカフェには性能のよいハンダゴテを使って、自由にハンダづけができるのだ。週末はテーブルはいっぱいになるほどの人気。ただしお茶などのサービスはない。

ともすれば「アートな人たち」の集まりになりがちな、こうした場所でまったくこれまで接点のなかった人や現象が重なり合う。それは、中村さんをはじめコマンドAの方々のソフト設計のたまものだ。

コマンドAのメンバーは、アーティストやアート企画などに携わってきた者たち。

「常勤のスタッフは5人ほど。ほとんどの内装、テーブルや椅子も僕らでつくりました。大工仕事は中村が一番生き生きする仕事ですね」と笑うのは、コミュニュケーションディレクターの板野充学さん。

その彼らが、大工仕事、ペンキ塗り、トイレ掃除まで行う。それどころか、さまざまな契約/規約づくり、貸しスペースや機材のブッキング、クーラーが壊れたら電気屋にかけこみ修理代を交渉する。
これだけの大きさの建物と、人と、出来事を動かしていくすべてを、彼らはやり続けている。

「僕自身は映像作品をつくるアーティスト。イギリスに留学していて日本に帰ってきた時、自分の居場所、アートの居場所がないことに愕然とし、失望もしたけれど、ないのなら作ればいい。中村がやってきたことに共感するし、作品制作とこうした運営の仕事は僕の中に矛盾はないです」と板野さん。

もうひとつ。
アーツ千代田3331の特徴は、地方へのまなざしだ。

2階の1室には「Insideout project」の部屋を設け、今までのベクトルをInsideoutする(裏返す)という認識に立って、日本各地で行われている活動的な事業をつなぐアートプロジェクトを展開しはじめた。中村さんが立ち上げた秋田県大館市のアートプロジェクト『ゼロダテ』もアーツ千代田3331の1階に賃料を払ってスペースを持つ。
どちらも始まったばかりだが、「東京/都市」と「地方/地域」との複眼でものごとを見つめることで、双方が抱える問題の解決の糸口を探っている。

中村さんは、「僕は秋田の大館から東京に出てきた。コマンドAのメンバーも、東京にいる人はいろんな地方出身者の集まり。3331は、そうした個々人のバックグラウンドを浮き上がらせ、つなげる場所」という。

では、私たちも複眼でものごとを見なければならぬだろう。
(・・・というわけで、レポートは秋田に続く)

徳島県名西郡神山町 徳島市内からバスで1時間。神山町は、ぐるりを山に囲まれた小さな町です。1965年には16,045人だった人口は、2009年には6,596人に減 少したいわば過疎の町です。

日本国中にある過疎地域の、焦りとあきらめが入り混じった空気は、なんとも胸が痛いものです。ところが、神山は深呼吸したくなるほど力強い気に満ちてい ます。

ひとつの要因が、1999年に始まったアーティスト・イン・レジデンス。毎年、海外から2人、国内から1人ずつアーティストを招聘し、約2カ月間の滞在 で作品を神山に残してもらっているのです。

運営の中心は、地元のおっちゃん、おばちゃんたちが結成したNPO法人グリーンバレー。

行政からの助成もわずかで予算も厳しいのですが、おっちゃんたちはお遍路さんの接待で培われたホスピタリティでアーティストを徹底サポート。宿舎のドア を開けたら、野菜が山盛りおかれていたり。「寒くなりましたね」とあいさつすると別の人からストーブが届いたり。時には、アーティストに厳しい意見を言うことも…。

「神山の人たちは、誰かからの受け売りでレジデンスをやっているのではなく、本気で自分たちの住む土地にいいものを残したいと思っている。だから『この 作品をわしらの土地に残していくのか?』と問える。アーティスト側も、なぜ自分が作品をつくるのか、自分にとってアートとは何かを突きつけられ る」(2009年の参加アーティスト談)

神山の「ひと」に魅力され、すでに国内外から何人ものアーティストが神山に移住し、さらに音楽家やパン職人、徳島市内の若者などがこの地で「何かをした い」と集まってきています。そんな創造を発揮する人たちを、神山はアートというフィルターで選んでいるのです。

ある宴会の席で、NPOの方が言いました。「この場にいる30人ほどの中で神山で生まれ育った者は8人しかいない。他は海外や県外から移住してきた人や訪ねてきた人たちだ。我々は活動する時にこ ういう場を想像していた。それが実現しつつあり、とてもうれしい」

過疎に完全な歯止めがかかるわけではないですが、神山では町の未来を自分たちの手でつくろうとしています。

代表の方は、「ええ加減でやっているからな」と言いますが、「出来ない理由探しはやめて、まずはやってみる」を実行するための“ええ加減”です。 その一歩踏み出す勇気がどれほどのものか……。想像に難くありません。

神山を訪れて、しんしんと染み込んでくるのは、「未来は自分たちでつくれるのだ」という、やわらかな信念。だから神山に出会った私たちもまた、自分たちの未来は自分でつくることができるのだと、何度も唱えることができるのです。

神山の情報はこちらから。http://www.in-kamiyama.jp/

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追記 2010年度より、京都造形芸術大学ASP学科の学生を中心に神山で活動するプロジェクト「カミツレ」が始動しました。語源は、「私を神山に連れて行って」。メンバーたちは、2009年よりしばしば神山を訪れ、地域の方々の熱烈な協力の下、地域の調査・研究すると同時に、その成果を神山に還元する展覧会の企 画、出版物の発行などを行う。神山滞在時には酒盛りを欠かさないのが特徴。

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